2011年9月8日木曜日

お彼岸随想 2011.3.21

 今日は雨降りのお彼岸、自家製ぼたもちを家族で食べた。
作る時期によって名前が違うのがぼたもちとおはぎ、とはいえ、どこが牡丹でどう見たら萩なんだろう。答えを知っていてもなんとなく疑問だった。
粒あんとこしあんの違いでは?とも思っていたが、昔はそれもあったみたい。ではどちらが粒あんでどちらがこしあんなのかといえば、ぼたもちがこしあんなのだそうだ。なぜかといえば、秋の収穫したての柔らかい小豆と違い、春の小豆は皮が硬くなっている、そのため漉して使うため。なるほど。
ちなみに春と秋だけでなく、実は夏と冬用のネーミングも持っているらしい。夏は「夜舟」、冬は「北窓」。なんで?と言えば、ぼたもちは餅と違いお米を搗かないので大きな音がしない→いつ搗いたか知れない→いつ着いたか知れないのは夜の舟。では北窓は。同じく搗き知らず→月知らず、月の見えない窓といえば北の窓。というなんとも洒落っ気のあるネーミング由来になるほどとうなずいた。
・・・・大地震からすでに1週間過ぎている。余震や停電や被災地の心配をしつつ考える、今自分にできることしないといけないことは何だろう。一つの答え:その間家族で何回も近所を散歩した。寒いながらも道端に、枝先に、そこかしこに春の気配を感じながら、いつものように散歩した。「いつも」をまずは取り戻すのが大事と思う。みんなの「いつも」が早く取り戻せますように。
今度の地震でも中越の時も一番感じるのは、自然の中における人間の世界の小ささ。だって地震のあと余震や停電で途方に暮れる下界をよそに、恐ろしいほどに変わりなく美しい星空。青空。山々。自然は圧倒的に凄い。大きな自然の力になす術もなく飲み込まれた多くの人たち。想像するだけで胸が締め付けられる思いだけど。今も暗く寒い中、耐えてる人たち。今は何も手を差し伸べられなくてもどかしいけど。
それでも春はやってくる。ここにも、そして被災地にも分け隔てなく。それもまた大きな自然の力の一つ。
こちら此岸には迷いも煩悩も苦しみも悲しみも多く、生きてゆくのはなにかとたいへんなのだけど、でもそれゆえに春が来るのがうれしかったりすることは忘れないでいたいし、そのうれしさを伝えていきたい。

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