2011年10月31日月曜日

夕空天体ショウ

29日、地区の用事でちょっと夕暮れにでかけた。

家を出ると東の低い山際近くに、
妙に明るく目立つ★が光っている。
地味めな秋の星座にそんな目立つ星はなかったはず。
木星か土星なのかな、
それにしても遠くの街灯のようになんだか明るいな。
と思いつつ、振り返ると「おおっ」

西にそびえる南アルプスの稜線すぐ近くに
細い細い月が輝いていた。月の影の部分もよく見える。
細い月って夜空にある時間も短いので、なかなか見られない。
そして沈む瞬間もタイミングが合わないと、なかなか見られない。
月の入りをしばらく道の真ん中で見つめていた。

家に帰って調べた所
月齢は2.3、つまり三日月ならぬ二日月だった。
そして丁度29日は木星が「衝」とのこと。あの明るい★は木星だったのだ。

ついでに時折見かけるがうろ覚えだった天文用語「衝」を確認。
「衝」とは地球から見て惑星が太陽と真反対にある状態 のこと
月の場合は「望」と呼ぶ。ちなみに太陽と重なる場合は「合」
・一晩中夜空にある訳で、観察に適する
・一番地球に近い位置にあるので、大きく見える
・月等は衝効果でいっそう明るく見える
なるほど。どうりでやけに目立ったわけだ。

そんな出来事があったあと
NHKの地球ドラマチックで、
「ラスコーの洞窟壁画は、実は古代人の描いた星図だったのでは」
という壮大で魅惑的な内容の番組をやっていた。

先日参加したズーラの象鼻杯イベントでも
「古代、縄文人は月の運行を深く観察していたはず」
という話題があったばかりなので、
 個人的には この仮説はとても納得できるものだった。
 宇宙と生活がより密接に繋がっていた古代。
日々の天空観察から得た知見を
文字を持たない人はイメージの力で後世に伝えたのではなかろうか。
なぜその伝統が、一旦断ち切れてしまったのかも不思議な所。


星の運行つながりの体験つづきに
なんだか一人でうれしくなってしまった晩。

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2011年10月30日日曜日

白州桑の木沢探訪

この前、白州の山奥、甲斐駒ケ岳の麓にあたる桑の木沢にでかけた。
この場所は以前家族で途中まで散歩して引き返した場所。

なんと前回たどり着いた橋から渡って徒歩一分くらいに沢への入口が。
しかも今回は橋のたもとに遊歩道の道標が。
(前回は途中の道標がまるでなくて、ほんとに正しく進んでるのかも疑問だった)

5分ほど進むとなぜか立派なあずまやがある。
ここから鉄製の橋を渡りスタートするが
いきなりルートファインディングを求められる。

元からそうなのか、9月の大雨が原因なのか、
基本的に谷は荒れた印象がある。
とはいえ、道中には赤ペンキ や赤いポリひもが必要最小限あるので
どのように進むか迷ったら落ち着いて目印を探すべし。

入口から 30分ぐらいでようやく最初の滝、桑の木滝にたどり着いた。左の崖上に見える大木が 割れた石にしがみつくように生えていている。
巻き道は大木の脇を通るように伸びているとは。

またしばらくで黄門の滝。
ここは脇の鉄の階段を通って滝上に出る。

さらにすすむとヒョウタン滝&三条の滝。小規模ながらおもしろい滝。
ここは滝のすぐそば左岸が鎖で横巻き出来るので慎重に進む。
このあたりから正午近くなのに、谷は陽が差し込まなくなってしまった。

60分ほどでくの字滝 。
この滝の向かって左にある細い滝はきれいだった。この滝は壁が黄色っぽくて
まわりの黄葉に 輝いているように見え、個人的にお気に入り。

今回は単独行だったのでなにより熊に気をつけていたのだが、
(何しろ前回、熊を見かけたし)
途中、前方でどどっと大きな音がした時には本当にどきっとした。
正体は、立派な角の大きな雄鹿。
急坂を駆け上っていった。


そして90分後、終着点の黒戸噴水滝 にようやく到着。
滝自体はスケールもでかくて、来た甲斐があったのだが、
まわりは非常に荒れた印象で、
長居するのはコワくも感じた。
午前中なら陽も差し込んで、また違った印象なんだろうな。

家族で来るにはちょっと難しい。
けれどいつかまた来たい。そんな谷だった。

道中の詳細と写真は近日中に改めて。


注意
この遊歩道は、なんでこんなとこに名前をつけるのかなと疑問に思うくらい
いわゆる「遊歩道」レベルではない。
これを読んで現地を訪れる場合は決して気軽に観光気分で行かないこと。
白州の滝に向かう遊歩道はすべて侮りがたいのだ。


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2011年10月26日水曜日

台が原着物家族計画

日曜日は白州の台が原宿まつりへ
我が家はここ数年、これに出かけるのが恒例行事。

いざ出発。計画発動!

めざせ昭和のこどもたち
家族で着物をきて、まつりの雰囲気づくりで地域貢献するのだ。
という個人的野望に勝手に燃えております。
骨董やクラフトの店が建ち並んで楽しい。
そして今回初めてここならではの伝統芸能、
虎頭の舞」を見ることができた。
勇壮な虎の舞い+子虎がカワイイのだ

今回は新古の絹の着物を格安購入。
基本的に昔は平均身長が低いので
noomが着れるサイズががあること自体珍しいのだ。
また、中古の袴も初購入。これらく。
着物をラフに着れるのがとても自分に合っていそう。

台が原は、甲州街道の宿場町のなかでは
一番当時の面影を今に残しているらしい。
とはいえ、現状では中心部の七賢周辺以外だと
ちょっと写真映えしないのも事実。

観光協会の展示にあったように、
電線撤去や舗装変更、改築時のガイドラインなどで
どんどん町並み復元修景していって
中山道の宿場町のような風情を目指して欲しい。

歩いて楽しい町が、近くにあるのはうれしいからね。
普通の日の、夜の七賢前


もう一つ気になったもの。
七賢裏のお寺のそばをホタル公園化しようという構想があるらしい。
ここは春には小さな丘に桜が咲き誇る風情ある場所。

公園構想自体を否定するものではないけれど
ホタル観察を続けて来た人間から言わせてもらえば
ホタルの生息にとって大切なものはいろいろあるけど
現代で一番 重要で難しいのは暗い場所の確保。
街灯一本でかなり広範囲にホタルは消えてしまいます。
開発のための開発にならないよう、良い方向に行くといいな。



カボチャと。「楽しいけど疲れたね」
まつりは毎年少しづつ賑やかさが増している感じで、
今年はめっきり出店数も来訪者数も多くなったよう。
目出たいことです。

でも相対的に着物人口が少なく感じた。
寂しいことです。
(この祭りでは着物での来場を奨励している)

少なくとも出店者や関係者は着物(和風の服装)で参加義務。
 それだけで、祭りの雰囲気は一気にパワーアップすると思うんだけど。
着物っ子がフツーの風景になるといいな

ともあれ、来年も楽しみです。


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2011年10月24日月曜日

象鼻杯で縄文に乾杯

今年のズーラのイベントで最も気になっていた「象鼻杯で乾杯」に参加しました。

場所は富士見町の井戸尻考古館
ここは建物はとても古〜い感じ(失礼)だけど、
収蔵する縄文時代の資料はすばらしい 一級品ぞろい。
なかでも水煙渦巻文深鉢は
昔葉書が10円だった頃の額面に描かれていたことでもおなじみ

そして館内の展示解説文がなんだかとてもアツくて
以前からとても気になっていたお気に入りの博物館。

さてさて、まずは館長さんによる、収蔵品と縄文土器の特徴の紹介。
館長さん、エネルギッシュで語りがアツイ!
どんどん提示される話題に惹き込まれた。すでに頭の中はジョウモンの謎で一杯だ。
そして敷地内の復元竪穴式住居に移動。
煙が立ち上る復元住居に入るには、頭がぶつかりそうな低い玄関から背をかがめてくぐらなければならない。
まさにタイムスリップ 。そしてお茶室みたい。
もうこれだけで、来てよかったなあと思った。
だって、夜に、遺跡跡で、復元住居内で、裸火を焚いている なんて!フツーあり得ない!!
わくわくしてきた。

住居の中心には火が焚かれ、車座にすわってまずは象鼻杯で古代米焼酎(度数40度!)を楽しんだ。
象鼻杯とは、穴のあいた蓮の葉を使った趣ある中国のお酒の楽しみ方。
葉に穴をあけ、酒を受けてチューチュー酔います、もとい吸います。
(吹くとあぶくがぷくぷく立つのもいい感じ)
水煙草みたいに茎の根本の方から吸うと蓮の香りも加わり野趣あふれる感じ。
酒が入っている間は両手を離せないのは、いいことなのか悪いことなのか。
こんな風にお酒を縄文人が楽しんだのかどうかは定かではないが、
みんなで飲んでる光景は なにかの密やかな儀式みたいでもあり
不思議な楽しさがあった。
暗くて象鼻杯シーンはあまり上手に撮れなかった

蓮の葉は水をはじきます


そして蓮の葉で包んだおこわや、縄文土器で作ったキノコ汁、串焼きの川魚など野趣あふれるおいしい料理を楽しみながら、
車座の中央に座る、前館長でもある小林公明さんから
縄文にまつわるさまざまな話しを聞いた。

個人的にこの2ヶ月ほど「月」に非常に興味が湧いていて、
いつも月を気にしていたりしたこともあり、期せずして、まさにドンピシャな話題。
しかも知的に刺激的。

・壁や天井があっただろう、竪穴式住居の構造・発掘状態からわかる炉を中心とした女性の座る位置
・縄文時代の家族構成は謎
・縄文土器は決して自由奔放に描かれたものではない
・壊される土器や土偶
・土器はどんな人が作ったのだろう

・縄文人の太陰的世界観 月とカエルとヘビと女性
・月になりたかった縄文人
・月の軌道と渦巻き(蕨手)模様
・縄文土器に穿けられた穴は眼
・漆や文様等に見る文化の伝播
・山地民俗である井戸尻文化圏
・縄文を理解するには科学的思考だけでなく直感的思考が必要

などなど、もっと書き留めておきたいけど、とりあえず覚えているテーマだけでも。
程よく酔っぱらいだったし。

謎は新たな謎を呼ぶ。新しい発見も多かったが、新たな極私的謎ポイントは
・だからカエルは漢字で月の蟲と書いてくんだ(蛙)月の木は桂だものね。
・カエルの語源は還る、甦る なんだろうか
・カエルやヘビからウサギにシフトしたのはなぜだ?跳ねるから?
・二十三夜講だとかの月待ちの風習の起源も、はるか縄文時代に遡る感性なのかも。
・食べるということの意味が今よりはるかに神聖(生死に直結)


 なんだか村長(ムラのオサ)から一族のいにしえの話を語られているかのような
この雰囲気、この話題、とても良かった。
眼をきらきらとさせた小林さん、
多分、終了時間の設定がなければ 夜がしらじらと明けるまで、語り明かしそうな勢い。
終るのが非常にもったい時間だった。

終了時、住居から出た時に思った。
今日はあいにくの曇り空だったが、
もしこのタイミングで、月がこうこうとあたりを照らしていたら
もう完璧すぎて言葉も出ないだろうなと思った。

縄文人も空を見上げたその同じ場所で、同じように空を見上げている。
歴史を思う時にいつも感じる、その時代を越えた連続感と言うか一体感。
そんな醍醐味を味わえた晩だった。

追記:土砂降りのなか、蓮を採集いただいたというスタッフのみなさん 、ありがとうございました。

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2011年10月16日日曜日

秋のキリン

ただいま秋本番、
野道に咲く花の中で黄色い色は秋の日差しを受けて特に目を引く。
よく見かけるのはアキノキリンソウ。可愛い名前。

植物なのにキリンと呼ばれるのは何故に,
ということで少し調べてみると。
なんとアキノキリンソウは、外来種セイタカアワダチソウの親戚。
背が低いこちらが本家の泡立草だとか。
しかし名前は、別種のキリンソウに似ているところからの命名だという。
似てなくもないけど、激似でもないのが少しビミョウ。
キリンはキリンでも伝説の動物、麒麟だとのこと。


そこでwikipediaによれば
麒麟『形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、
顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつとも言われる。
背毛は五色に彩られ、毛は黄色い。
頭に角があり、本来は1本角であることから、西洋のユニコーンと比較されることもある。』

ちなみにほ乳類のキリンにも角があるが、2本じゃなくて
5本!あるとは。本日初めて知った事実。
ほ乳類のキリンも5mぐらいあるので、
昔、実物(多分実物の骨格も)を見た人からの伝聞が
まだキリンを見たことの無い人のイマジネーションを掻き立て
想像上の動物を生み出したんだろうな。なので

『普段の性質は非常に穏やかで優しく、
足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。
神聖な幻の動物と考えられており、1000年を生き、
その鳴声は音階に一致し、歩いた跡は正確な円になり、
曲がる時は直角に曲がるという。』
円に直角…と、なかなかユニークな生態を持っているとされる。

ちなみにほ乳類のキリンの方は牛のようにモーと鳴くらしい。
キリンの鳴き声

オスの麒麟を「麒(き)」、メスを「麟(りん)」
というのもミニ知識として面白い。狛犬の「阿吽」みたい。

背が高い、秋に黄色が目立つ花だから
こじつけで伝説の麒麟に似ているとされたのだろうか。とも思ったが
でも、本家の麒麟草も草丈せいぜい30センチで
どちらかと言えばセイタカアワダチソウの方が首の長いキリンのイメージに近い。

ちょっと違うなーと思っていたら答えは案外簡単だった。
本家のキリンソウは漢字で書けば、麒麟草。
それともう一つ。黄輪草とも。これだ。
 確かに本家のキリンソウの花は、草の先端に丸く固まって咲いている。
ことばの音が別の連想を引き起こし、
それが縁起が良い語感ということもあり、そちらが一般的に定着してしまったようだ。
とはいえ、秋風に吹かれてたたずむこの花は、
少し愁いを帯びたキリンの目のように、穏やかで優しそうだ。

wiki:アキノキリンソウ
wiki:キリンソウ
wiki:麒麟
キリンのツノ

2011年10月14日金曜日

月光写真

10/11 満月はやはり何かドキドキするものがある。
明日は休日、こどもを寝かせて深夜に早起き。
一人外にでかけた。
月夜は意外に明るい。
いつもの鳥原への散歩道は、不思議な明るさに輝いていた。
いつもと同じなのに,違うのがおもしろい。

鳥原集落の奥にある石尊神社へ。
参道は影がくっきり。月の光が当たるところは白く光っている。
さすがに少しドキドキしながら無灯で歩いてゆくと
前方でガサリゴソゴソなにか音がする。
ぎくり。クマダッタラドウシヨウ、イヤチガウハズダ…
しばらくこちらも動けなかったが、少し音が離れたのでライトをあててみると
森の中に光る眼二つ。
鹿だった。
月光に照らされて浮かび上がる狛犬、石仏、鳥居、階段。
深夜狛犬

境内はそれでなくとも神の宿る場所だけど、
いつも以上に神秘的。
風もなく深夜の森は、静まり返ってしまった。

そのあとはぐるぐると深夜徘徊。
深夜駒ヶ岳

深夜農道

深夜清流

深夜八ケ岳

深夜滝

深夜甲州街道

久しぶりに謎のチッチコウモリの鳴き声を聞けたのも収穫。

気温は10度。厚着して来たつもりだったけど、幾分寒い。
月が西にだいぶ傾いたところで家に戻り、2度寝した。

今日気づいたのは今ドキのデジカメの優秀さ。
高感度だと、さすがにざらついた感じになるけど、
こんなに撮れるものなんだ〜とビックリ。
ISO1600

ISO800

ISO400

ISO400で自動補正 これが一番夜っぽい

昔、フィルム写真の頃。
長時間露出の写真を頑張って撮ってみては
現像時に失敗がわかる悔しさを度々体験した身としては
隔世の感がある。

とはいえ、あの月夜の透明感は
やはり夜で無いと味わえない格別なものだと思う。

キリガミネ.575

10/12 朝から気持ちのよい秋晴れ。
なので、子供たちも休ませてお出かけすることに決定。
めざすは近くの入笠山へ。しかし。
おでかけの 出鼻をくじく 通行規制
入笠山は紅葉期のため、規制中だった。残念。

行き先変更。めざしたのは霧ヶ峰。
そして現地ではたと気づく。
バッテリー一人静かにお留守番
よって本日の記録は、五七五形式(.575)で保存。

車山 だいだらぼっちの ゴルフ場
小さな手 にぎりしめてる イチイの実
木道は とっきゅうれっしゃの すすむ道
一番に 山頂着くは はしゃぎ声
風の中 半分が空 半分が草
暴走特急 おやつの一声 急停止
雲が往く 蝶々深山で お昼ごはん
珈琲は 水がなければ 楽しめず
青空にすすきの掃いたほうき雲
笹原に わいわい沸き立つ 小虫たち
寂しさを 紛らすように マツムシソウ
尾根道に 気づけば響く 草刈り音
忍者道 山も近所も 子はこども
笹道に ふわふわと舞う すすき雪
着物着て駈けてく我が家の山ボーイ 
背にこども 進むはなぜか ケモノ道
ぺたぺたと 鹿の足跡 続いてく
次々と 何かが起こる 一休み
橋の穴 あけて見つかる ふたの石
あと1キロ 手替え品替え のぼり道
フレーフレー 最後の登りに 響く声
振り返れば 家族で通った 杣の路
ご褒美は 口のまわりの 白いひげ
車中にて とっておいたのと グミ一つ 
がんばりを 讃える空の 金メダル

情景や発見の驚き、匂いや味、
写真やビデオには写らないそのときのキモチを
ぎゅっと17文字にとじ込める遊び。
しかも道具不要。
俳句ほど固く考えず、上手をめざさない、
メモとしての五七五。
せっかくの家族の時間、
たまにはファインダ越しでなくともいいよね。

2011年10月10日月曜日

記憶の公園

10/7 本日のお散歩は、白州の花水集落界隈、と計画していたのだけれど
現地入口の公園に惹かれて急遽路線変更。

その小さな公園には少ないながら遊具があるが、
ジャングルジムや滑り台に手作り感があるのが特徴かな。
地元の鉄工所で作りました感、いいね。

宮古島の集落にあったコンクリの滑り台を思い出す。

そして到着して初めて気がついた、いい香り。

オレンジの花もかわいらしいキンモクセイが満開だったので香り好きなカレーが少し浮かれ気味。

キンモクセイの香りといえばnoomには「ちっちゃな恋の物語」の1エピソードなのだけど
加えて小さい頃の秋の校庭の記憶が断片的に浮かび上がる。

そしてもう一つとなりに植えられた実のなる見かけない木。

こちらは確か、多分、愛知の実家の庭のまん中にどんと生えていた
名前の分からない木ではなかったか?

おぼろげであいまいな記憶が続く。

この公園脇は釜無川。
河原に降りると河川敷は大量の砂が堆積していて天然の砂場だ。

この川の砂は白く、しかもこの時期河原に入る人もあまりいない。
そこかしこにアオサギやシカの足跡が残り、
日が暮れはじめたこの時間は、まるで化石の発掘現場にいるようだ。

tooやリホチはすでに全身で砂と戯れている。我が子たちながら躊躇が無い。

干上がった川に残る、流れが描いた水底模様に
「日本沈没」(昭和版)の映像の記憶を重ねたり、

さらさらの砂に、鳴き砂の浜に旅行に行ったことを思い出したり。

月見草の咲く時間を待ったのは、久米島だったっけ。


まだ空に上りかけの半月が明るく輝きはじめた頃、
カレー秘蔵のコウモリグミを食べて公園を後にした。
このコウモリの黒い部分はリコリス味で
これはスウェーデンで初めて食べて衝撃を受けたまずい記憶
(最初は圧倒的だったものの、現在は慣れました)

意外に、意外なほど楽しめた今回の公園。
子供たちにも小さい頃の記憶として残るんだろうか。

ユキがいない朝

ユキがいない朝

10/8 冷え込んだ早朝、家で飼っている猫が一匹帰って来ていないのに気づいた。
家の前の道路の片隅に横たわっているのを見つけた。
ほとんど傷らしい傷も無く、出血も無く。
青い目も開いたままで、いつもと違うのはただ動かないこと。
亡きがらを布にくるんで家に運んだが、
まだなんとなく体の芯のぬくもりが残っているように感じられたのが
なおさら切なかった。


名前はユキ。
今年の早春、偶然近所から譲り受けた2匹のうちの一匹。
ユキはミゾレと違って、おなかが空いてもあんまりすり寄ってこない。
ユキは「私は私なのよ」と澄まし顔のネコらしい猫。


家に戻ると相棒のミゾレが近寄って来た。
ユキのいつもとは違う様子に、
布を引っ張ったり、ちょっとかんでみたり、
鼻をクンクン、不安げな声をかけてみたり。
でももう、一緒に遊んでくれない。ケンカもできない。
そのあと、そばにあった布切れの中に顔まですっぽりくるまって
じっとうずくまってしまったのが
なおさら寂しそうだった。

カレーと2人で庭に埋めた。
埋める時のなんだか乾いた感じと、
いつもと世界は変わらないのにもうここにはユキはいない、
というぽっかりした非現実感はこれで2回目。

そのあとtooが起きて来たので、昨日摘んだ沈丁花の花を供えた。
雲の無いよく晴れた朝だった。
夕方、聞けばリホチは何回となくユキの話を口にしていたらしい。
彼女も小さいなりに、初めての身近な死と向き合っているようだ。



「毎日、今日が人生最後の日かもしれない、と考えるとすれば、いつか、必ずその考えが正しい日が来る」
数日前に亡くなったAppleのスティーブ・ジョブズの言葉。
昨日がユキと一緒でいられた最後の日。
在りし日の写真で追悼。


ユキ、ありがとう。

北杜自然彩集百科事典: コガネグモ

北杜自然彩集百科事典: コガネグモ

2011年10月7日金曜日

びっクリプチホラー ベスト3

その1
これな〜んだ?
指くらいの長さで、
ツヤテカでちょっと
グロテスク。
動いていたら
ちょっとイヤかも。








 ムカデのような、
ヤスデのような、
さらに極私的例えだと
昔いたずらしてひんむいたザリガニの腹の部分のような、
薪割で時々木の中から出てくるキマワリという虫の幼虫のような、

その答えは





実は正体は「 栗の皮」。
『クリクリ坊主』を使って手慣れてくると、
ひとつながりに皮がむけて、
まるで、いきもののような気配が漂ってきてちょっぴりビックリ。

その2
皮むきしていると、時々現れるイモムシ。
野生の栗には、ものすごく高い確率で虫が入ってる。

今年の裏庭の栗は、虫が少なくていいなー。と先日は思っていたけど
収穫数日後の栗をむいた本日は、ハズレ栗多し。

栗は毎日朝イチで収穫すべし、というのは
虫がまだ卵のうちに実を処理すべしということなんだろうな。

そりゃーね、人が食べてもこんなにおいしいものだもの。 虫だって食べたいよね。
でもそれをプチッと切ってしまったときの気まずいこと。
うっかりだけど、ゴメンナサイ。

その3
そして、苦労してせっせと剥いた先から
その隣でこっそりぽりぽりと音がする。
案の定、食いしん坊のリホチ…

おいおい、ナマなんですけど。それ。
「おいしいの?」
「うん。」
「そ、そうなんだ。」

結局この時むいた20個近くのの栗で残ったのは僅か
…3個。
大丈夫なのか 、君。
大丈夫なんだね。

2011年10月6日木曜日

キリがいい

桐って、国民ほぼ全員になじみがあって、大抵の人の財布の中にも入っているくらいなのに、
でも本物についてはあまりよく知られていないだろう植物。

古来、桐は鳳凰が止まる神聖な木とされてきた。
(ちなみに花札にはこの由来を受けて、桐に鳳凰が描かれている。)
だから菊の御紋に次ぐ高貴な紋(五七の桐紋)として天皇、
なじみのあるところでは織田信長、豊臣秀吉、他武家多数、
現代では日本国政府、内閣総理大臣の紋等として使われている。




パスポートにも描かれているし
リアルタイプなら500円玉の裏側に桐がある。


noomの財布の中と、こちら八ケ岳山麓ではあまり見かけないが、
前に暮らしていた新潟ではたくさん見かけたものだった。

この桐、自然に興味を持ちだした頃は、冬枯れの桐の木の下に落ちている
2種類の「種」がとても不思議な存在だった。
一つはまさに「桐紋」の上半分に描かれているような感じの、
ビロード状の皮に覆われた黄土色の、「小さな種」。
もう一つはクルミのカラを薄くつるんとしたようなカタチの「大きな種」。

手持ちの画像が見当たらなかったので参照用

紋のイメージからすると小さな方が種だと思っていた。
しかしよくよく観察すれば、大きな種のカラの中に、
風で散らばりやすそうな、とても小さな種がたくさん詰まっているものを見つけ、
こちらが正解なのだな、と分かったが、では「小さな種」は?。
それは、葉っぱが広がる前にまず咲く、桐の花の花芽だった。

桐に興味がでたところで、一つ謎が。
キリといえば、ピンキリ。ピンキリって何だということで少し調べてみた。

なにやら室町時代にポルトガルから伝来された「天正カルタ」がその語源のようで、
ピンとは1点の札、ポルトガル語の1を表す「pinta」(英語で言えばpoint)のこと。
つまり最初であり最低点のこと。

キリの方は「きりをつける」「きりがつく」の「きり(切り・限)」。
「物事がそこで終わりとなる。区切りのところ」という意味。

天正カルタは1~12まであり、12の札のことをキリと呼んだとか。
つまり一番最後という意味。

つまりピンキリとは本来は最初から最後であり、ピン=最低からキリ=最高という意味だったのが
江戸時代頃になぜか意味が逆転したらしい。
そしてもう一つの由来として花札の12月が桐の花なので桐→キリ→最後となったらしい。


由来は検索すると多数ヒットします。
http://allabout.co.jp/gm/gc/220580/2/

が、よくよく考えてみれば12月の桐なんて絵札に描かれるような花も葉も無く、
季節感なんてまるで感じられないのはなんだかおかしい。
これはきっと12→最後→キリ→桐でいいや、という語呂合わせが
絵柄の由来なんだろうな。それはそれでユーモアがあり楽しいな。
そうなると花札の一番目は松。
新年でおめでたいから松、というだけでなく
その葉っぱが「pin」に似ているから1番目のモチーフに採用したのでは?
などというピンキリ花札由来説を今考えてみた。

初夏、桐の紫色の花は、大きくたくさん咲き誇り、そのあとの葉ものびのびと広がる。
すくすく育つので娘が誕生するとキリを植え、嫁入りの時にタンスにするなんてのも有名な話。
それはキリという植物の成長の早さと、軽量、防湿、防火、割れや狂いが少ないという
木材としての優れた特質を活かしたというのももちろんあっただろう。
加えてキリは神聖で、区切りで、最高というのも、人生の大きな節目にはぴったりなのではなかろうか。
そういえば、へその緒の小箱も、棺桶にも、桐は多用されている。
桐は日本人のこの世とあの世の区切りと共にある。
wiki:キリ

2011年10月2日日曜日

じっくりくりくりくりをむく

我が家のすぐ裏に(おとなりさんの敷地だけど)クリの木がある。
そして今、クリの季節。ここのところ毎日のように栗が降ってくる。

今年は生り年なのかな。
一昨年は豊作だったので期待していたら
去年は白髪太郎の爆発的増加で夏前に丸坊主にされてしまった
今年は反動で太郎もそれほどたくさん増えなかったしな。

ちょっと拾っただけで、すぐにザルいっぱいになるほど。

早速食べようと言うことで,まずは包丁で皮を剥いてみる。
剥けないことはないけど、実が小さいからひとつひとつだと手間がかかるんだよね。

そこで秘密兵器登場。定番の『クリクリ坊主』。
工具のニッパーのようになっていて、片方のギザギザが栗を固定し、もう片方の刃で皮をそぎ落とす優れもの。
これを使うと、ハサミでちょきちょきするかのように面倒くさい皮が剥ける。簡単!

だけど、やはり結構疲れる。
外の殻だけが剥けると渋皮が残るけど、
その皮がとれたてだからなのか、なんだか普段見る栗より薄くて、
剥きがいが無いと言うか、このまま剥かなくてもいけるんじゃないか、とかつい無精になってしまう。
そして市販のクリは何故あんなにきれいに剥けているんだろうとうらやましくなり、
なにか秘策があるはずとネットで調べてみた。

すると
A.厚力鍋で水から10分煮る
B.沸騰したお湯に3分つけて、少し冷ましてから剥く
C.2分茹でて、切り込みを入れてから炒める
・渋皮をあえて剥かない。炒めてならそのまま食べられる
・剥く時はお尻から先端に
等といろんな情報をゲット。
ひとまず色々試してみた。
A.10分蒸したところ、1割りくらいが渋皮ごとむけた。
B.3割ぐらいの確率で渋皮ごとむけた。
C.渋皮がかりっとするまで炒めるときれいにはがれるが、皮が薄いと逆に面倒くさい。
あと、
・カラはどの方法でもきれいに剥けるが、渋皮ごとだと剥けない栗が混じる。
・煮ると火が通ってしまう。そのためそして表面がざらっとしたやわらかい感じになってしまう
・きれいに剥けるのは、実が少し黒っぽい(糖度が高まっている)ものに多い気がする。
・クリの実のカラはお尻の方が柔らかい。
などこの取り組みで、栗の実について、体感的に分かって来たことがあったのも収穫だった。
知識だけでなく、やってみないとなかなかわからないものだね。

とはいえ2日ぐらい色々やって見たが、なかなかこれだ!という方法が見つからない。
多分明日からは「少し熱湯であたためて剥きやすくしたものをクリクリ坊主カット」になりそうな予感。

そして、
素揚げしてみた。味は…不評。
炒ってみた。時間不足で中心がナマ。皮も気持ちよく剥けず、不評
栗ごはんにしてみた。子供たちにも好評。
蒸してみた。最後にちょっと塩をふる。スナック感覚で好評。
でもなんだか、記憶の中の「一昨年の味より甘さが足りない」ような気がする。という意見を受け、

また少し調べてみると
・栗の甘さは3日ぐらいで2倍、一ヶ月ぐらい0度近くで低温保存すると、最大3倍ぐらいまで高まるらしい(そのあとは逆に減少する)。
・加熱時に、じっくり火を通してゆくことで糖度が高まる

というわけで、あまりにも長時間栗作業をして白い目で見られつつ、
ただいま冷蔵庫にも鋭意保管中です。

栗は人にとってはおいしい食べ物
縄文時代から食物として利用されて来たらしい。
だけど,本来的には植物のタネ。
そして季節はこれから寒い冬。だから、でんぷんを糖に変えて体力温存していくわけね。
つまり春の芽吹きに備えてのその努力、そのめぐみを頂いてる訳ですね。自然に感謝。

そして昨日ひろっても、今日見れば、またたくさん落ちている、この圧倒的な生産量。
屋根の上ぱらりぽとりと秋の音。