2011年12月31日土曜日

へしこ恋しや

今年のnoom家のマイブームは「へしこ」

へしこって何かと言えば、福井の名物で魚のヌカ漬けのこと
鯖を使ったへしこが代表的だけど、イワシ等を使ったものもある。
傷みやすい魚を長期保存したり、遠距離輸送したりするための
昔からの知恵の結晶なのだ。
夏に福井に行った時、お土産に買って以来、これにハマった。














まずは見た目。
鯖一本まるごと。お土産としてインパクト大。
あの傷みやすい鯖なのに、加熱もしてないのに
未開封なら冷暗所保存すらできて、さらに賞味期限も長い。


軽くあぶって酒の肴にするのが代表的な食べ方だけど
我が家の定番はお茶漬け。
薄く身を削いで、それをごはんの上に3~4枚並べ、熱いお湯をかければ完成。
食べると濃縮された鯖のうまみがぶわーっと口に広がって美味いのだ。

これは、そう、ナンプラーに近い。
タイ料理や濃ゆいエスニック料理大好きなnoom家にフックするわけだ。
何種類も違うへしこを食べてみたが、
シンプルな製法のはずなのに、
風味もメーカーによってかなり違う。
そんなおふくろの味的多様性も楽しい所。

石川の「いしる」、伊豆の「くさや」の親戚なので結構においは強い。
だからtooは普通ににおいを嗅ぐだけで嫌がるが、
なぜかリホチは2歳のくせに所望する。
まだ少し舌足らずなので「リホチもヘチコたべる~」とのたまい、
口先だけだと思いきや、ほんとに食べてしまうので
我が子ながらすごいなと思うのだった。


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2011年12月24日土曜日

冬至の怪

昨日23日、朝のニュースにて驚きの事実。
「昨日は冬至にちなんで各地で行事が行われました…」
「ええっ。冬至って一昨日じゃなかったの?」
…家族ぐるみで一日間違えてました。(汗)

それはそうと、一昨日、ほうとうを食べたあと
我が家では冬至の定番「柚子湯」に入った。
いい香り。しかし…
わくわくと先に風呂に入った子供たちがなぜか早々に出てくる。
「かゆいかゆい」
「?」
カレーもと急いで出て来た。
「うわっ!急にぴりぴりしてきた!!」
「??」
そんなことってあるの?伝統行事だよ?
傷口にしみるとか超酸性湯?まさかアレルギー?


そのあとnoomも柚子に浸かったが、なぜかnoomは何ともなかった。
なぜだろう?

あとで調べてみると
ピリピリ感じる人も結構多いようだ。
特に子供とお年寄り。
どうやら柑橘類の皮に含まれるリモネンという成分が
身体表面の油分を落としてしまい
普段気づかないような微細な傷に酸味がしみ込む。
さらに血行促進効果が高いという柚子の薬効が加わって
かゆくなる、ということらしい。
ひびやあかぎれに効くともいう柚子。
結構強力なんだね。
酸っぱい唐辛子みたいなもんなんだね、と再認識。














ところで
何故冬至に柚子なのかと言えば、
一説には
冬、湯治をしたりして身体が健康ならば、いろいろ融通が利く

湯治には融通が利く

とうじにはゆうずうがきく

冬至にはゆずが効く

だそうな。
おあとがよろしいようで。

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2011年12月22日木曜日

冬至南京瓜

昨日は冬至。ここは山梨、なので夕食はほうとうで決まりです。

ところでカボチャと言えば南の瓜と書く。
なぜかと言えばそれはカンボジアが原産地だから。
と子供のから思い込んでいたのですが…
本当は中南米原産が有力らしいです。
つまり大航海時代にコロンブス発見→ポルトガルから
南蛮貿易でカンボジア経由で大分県から日本上陸。
最初に手にしたのは戦国武将の大友宗麟だったそうな。

さらに基本夏から秋の野菜なのに
年末まで日持ちする数少ない野菜、ということもあり
「冬至に食べると病気にならない」と言われてるカボチャ。
しかし考えてみると、
常温保存しかできない時代に保存が1〜2ヶ月とすると
冬至にカボチャを食べられるのは10月中旬から11月くらい迄に
収穫できる地域に限られる。
とすると、国内産地だと北海道・長野・青森あたりのものになる。
(ちなみにカボチャの国内生産量の3分の1は北海道産だそうです。)
「冬至にかぼちゃ」は、江戸時代中期からの風習らしいけど
これは寒冷地方発信の文化だったのかな。
それとも北前船などの物流が発達したことによる
都会(江戸)発の文化だったのだろうか。

ところでカボチャは冬至までは腐らない、とも言われてますが
保存のとき冷やすのがいいのか、常温がより保つのか
かねてから家庭内での積年の疑問でした。
疑問解決↓
★風通しのいい10〜15度前後の場所でまるごと常温保存→1〜2ヶ月
★常温だと種とワタから傷むので、切ったらくりぬいてラップして冷蔵→3〜1週間
ただし、あまり低い温度で保存すると傷みやすくなる。
無傷&温度がポイント。
だから冷え込みが本格的になる(=保管の難しくなる)冬至までに
食べ切ろうという意図もあったのかもね。


栽培簡単、病気に強く、常温で長期保存できて(というより収穫直後はまずい)、
おいしく栄養豊富、といろいろポイント高いカボチャ。
noomはなにより火が通りやすいところが好き。

というわけでおいしくほうとうを食べました。


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2011年12月8日木曜日

金銀珊瑚綾錦

コニシキソウに関連してニシキギを調べていると…
奥州錦木伝説にまつわる“錦木”があるそうな。
世阿弥の謡曲にも「錦木」というのがあるらしい。

これは五彩の木片の束であるとも、五種類の木の小枝を束ねたものともいわれる。

参考→一束の錦木
「昔東北地方で行われた求愛の習俗で、
男が思う相手の家へ通い、その都度一束(ひとつか)の錦木を門前の地面に挿し立てたという。
 女が愛を受け容れるまで男はこれを続けるので、
ときには無数の錦木が立ち並ぶことになった。
千束が上限であったともいう。
いわゆる「錦木塚伝説」はこうした背景から生まれた伝説。」

ロマンチックやねえ。しかし…

一日一束、千本なら約3年。

3年変わらぬ熱いアタックぶりには女は折れざるを得ないかも。
ともいえるし三年経っても心動かないなら、男は諦めるしかないかも。
そういう背景があるので、恋文の雅称であり、恋文の文例集もまた「錦木」と呼ぶ。

確かに好きな相手のことを思い綴る言葉とその気持ちは、

きらきらと色鮮やかで美しく、まさに金銀珊瑚に綾錦。
ちなみに5種類の木というのもこれらの宝物に対応しているのだろうか


余談だが錦絵、錦鯉、錦蛇…錦のつく言葉はたくさんあり、なかなか面白い。

いろいろあるが
錦海老←田中一村の描いてた海老だ
錦玉子:ゆで玉子の黄身と白身を分けて裏ごしし、調味してから蒸し型に黄と白の二段に重ね入れ、蒸した料理。←錦糸卵とはまた違うのね。
錦眼鏡←こんな風雅な呼び名もあったのね。万華鏡の別名。

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2011年12月6日火曜日

小錦草

小錦草
先日、ぱらぱらと植物図鑑を見ていたら、
前からよく見かける、でも名前はまだ知らなかった、
そんな道端の雑草が一つ分かった。
(今、手持ち撮影写真が無いのでリンク参照→コニシキソウの参考写真

コニシキソウ。図鑑の説明文の中には、やはり
あの相撲取りを連想させる。という話題が書かれていたが
まあニシキソウもあればオオニシキソウもあるので小さな錦草だ。
ニシキギならうちの庭にも。
植物だと他にも、シソ科のニシキゴロモ、白い斑のはいった錦ヅタなんてのも。
ところで名前の由来の「錦」ってどんなものだったっけ?

早速、検索すると「様々な色糸を用いて華麗な模様を織り出された絹織物の総称、唐織(からおり)・綴(つづれ)織・金襴など。現在、西陣が主産地。」第二の意味で「紅葉等の色や模様の美しいもの。りっぱなもの」などとある。
赤く紅葉し、オレンジの実も美しいニシキギは、
まさに「ミニチュア錦秋」という趣きで、命名にも大納得なのだが
コニシキソウはどこが「錦」なのか。
花は地味、茎が紫、強いていえば葉に紫の斑紋があるのが特徴か。
面白いが、飛び抜けて美しいとはいえない。
う〜ん。
これは「錦」ではなく「二色」が由来なのでは。

とはいえ、地面にべったり這うように、あたり一面を覆うコニシキソウは
遠目に見れば錦を連想させるのかもしれない。
逆に、拡大して見れば白い毛や
緑から紫へのグラデーションの途中にある赤色なども発見できる。
そう考えればこれは確かに小さな錦の草なのだった。

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2011年12月4日日曜日

キモノノキホン

先日、南アルプス市の呉服屋さんに出かけた。
着物の着付けを習うためだ。
とはいえ、○○流とかの大げさなものではない。
目標は、普段着としての着物を自分で着れる出来るようになること、だ。

和服をさらりと着こなしたイケメン店長さんから着物の基本のキホン
たたみ方から襦袢の着方、ベーシックな角結び+袴の付け方までを
2時間一対一で、習った。

襦袢替わりにシャツ着用の場合は、丸首の方が良かったり

前から気になっていた着物のカタチ〜襟から伸びた下端の「みみ」部分〜が
実は着用時に胸元を整えるため、指で引っ張るためのタブだったり

帯は我流の着方より、随分腰の下の方で結ぶものだったり

羽織の襟は実は折り返して裏を見せるように着るのが正しい着こなし、とか

袴は腰の部分でひもで帯を作るかのように結ぶ

豆知識として着物の正装ランクとしては
袴>羽織>着物 なわけだが
羽織を着ない状態の着物のドレスコードは
実は家〜ご近所レベル(夏でも)まで
また茶席においては羽織着用は×、
そして袴をつけずにいるのは相当レベル高の人だとか
(まあ、茶席に呼ばれる機会はまず無いが。)


今回わかった着こなしのキモは、
裾の乱れよりは襟元が乱れないように心がけること
そしてそれは帯締めよりも、
実は袖を通して帯を締めるまでの下ごしらえの方が大切。
教えてもらったやり方だと確かに裾が乱れない。
(というかあぐらをかきにくいほどに、なかなか裾が開かない)

そしてなにより着物は着れば着るほどなじむ。布も、人も。

などなど、いろいろ目ウロコな体験ができたのだった。


逆に言えば、
今までの着物姿には相当恥ずかしい部分もあったということ(汗)
とはいえ、基本を押さえつつも
着物はキチンと着「なければならない」ものではなく
やはり、あくまで和式の普段着として気軽に着れるものでありたいなあ。という
思いは強まったのだった。

というわけで
家に帰ってここ数日、帯締めを練習しているが
すでにもう半分忘れてる…。
が、手が覚えるまで繰り返し着るのみ。

「着物乃塩田」
shiota@blue.ocn.ne.jp

2011年12月3日土曜日

はんでめためたごっちょでごいす

先日は家族で町のお祭りに行き、初めてサクライザーショーを見た。

サクライザーとは山梨のご当地ヒーロー。
市職員の桜井ケータは「山梨の宝」(今回は名水を生み出す甲斐駒ケ岳)
を守るため(イケメンでないのにもかかわらず)サクライザーに変身、
常人の3倍の力を得て宝を狙う敵と戦ってゆく、というストーリー
「はんで(急いで)・めためた(しばしば)・ごっちょ(手間がかかる)・ごいす(ございます)」とは
甲州弁の特徴的なフレーズをまとめたもので、  
特に意味はないが「手間かけさせやがって!」という雰囲気の

サクライザーの決め台詞。 


子供たちも始まる前からかなりワクワクドキドキ。
ショーではまずは進行の「お姉さん」登場
途中、敵が会場から子供たちを募ったりするのはお約束だが
主人公役の人が地元白州出身ということもあってか
なんだか力も入っていたようで、主人公役だけでなく
悪役含め主要メンバーも多数登場し、テレビ放映の雰囲気そのまま。
怪人たちが出てくれば恐がり、
サクライザーが戦う時にはこどもたちみんなで声援を送る。
最後には「サクライザー体操」を会場みんなで!(笑)

いや、大人も含めて期待以上になかなか楽しめたのだった。

そして終了後はこれもお約束のサクライザーと握手&記念写真
(実は買わなくても握手&写真オーケー。ここが地域振興ヒーローが
親にも好感度の高いヒミツだ)
敵の怪人や美人悪役の邪鬼礼威子様たちとも握手できたのだが、うちの子は避けていた。

…ということで
つい、勢いでDVDを買ってしまった。

家で見てみた。
ちょっと芝居が素人っぽいのはご愛嬌だが
主人公が甲州弁だったり、役場的人物描写なのが個人的にツボ。
さらに毎回県内市町村ロケ&ご当地の宝と
ご当地ヒロインが出るのが郷愁を誘う。(第一話は地元白州町)
戦闘シーンのときは、リホチ中心に自然と
「サクライザーガンバレー、ガンバレー」と声援があがる。
こんな風に素直に応援できる存在、というのが
特に幼児にとってはいいことなのかも知れない。

最近の特撮ものを見ていると、むむむ…と気になる点
戦隊ものだとヒーロー側が銃を集団乱射して敵怪人を蹴散らすのってどうなのよ。
とか
既出の35戦隊のメンバーに変身できる設定で、めまぐるしくヒーロー側が変身しすぎでは
とか
ライダー系だと大人も楽しめるようにするためかストーリー展開が複雑すぎて、
正義と悪がハッキリしなかったり。
とか…
先日偵察に行った、末恐ろしいほどの商品展開のおもちゃ売り場もなかなかの壮観だった。

もっとシンプルなストーリー(+たまにトラウマ話)が
子供にはまずは必要だし、ふさわしいと思うがどうなのだろうか。

と、特撮ヒーロー第一世代は思うのだった。。 あなたとの一期一会に感謝。

2011年11月19日土曜日

親子できもの伊那木曽道中

11/16-17で近場に旅行。
いかにも写真
めざすは日帰りでも行けないことはない伊那&木曽。
しかし、子連れは基本ゆっくりなのだ。
noomとカレーは完全着物気分だが、子供たちには強制できない。
そんな時、普段着の一つとして着物好きなtooは助かる。



















まずは諏訪から杖突峠を越えて、朝の千代田湖畔に到着。
山の上にある誰もいない静かな小さな湖。









この日は今年一番の冷え込みで、一番着込んでいたnoomですら寒〜い。
ましてやtooに至っては寒くて寒くて、
和洋折衷で着込んでみたものの、
下車五分後には、上空の青空のようにブルーな気持ちにヘコンでしまっていた。
tooのココロ

 湖畔を半周して風の通らない日だまりを見つけてここで朝食。
お湯わかないかな


三分間まつのだぞ











カップ麺+インスタントコーヒーでも体はぽかぽか。
だんだん周囲も暖かくなって来た。
が、まだtooの心は盛り上がらないので、名残惜しいが早々に出発する。

高遠では城址公園を散策。
こんなとこでもねころぶ













紅葉の季節にはちょっとだけ遅かったが、
水もみじ
ぐみもみじ











それでも充分面白かった。
こんなとこに桜
そぞろあるき
このあと枝をゆさぶる



とまとにしないで

ここで昼食後、子どもたちとちょっと野遊び。
立ち並ぶ杭の、年輪の所にできたヒビに草花を挿し、愛でる。

竹垣の割れ目に挿し込んでも楽しい。

生け花っぽい




それだけのあそびだが
日に透かしても美しい。
挿した草葉が作る影も風情あり。












 あまりゴテゴテ挿すよりは1〜3本ぐらいが美しい。
子供以上にnoom、大いにハマる。
またいつかあそんでみよう。

そのあと伊那の春日公園で遊ぶ。
晩秋の影は長いなあ、と実感。
渡し船にござる

わらわもやるのじゃ













水晶の影


こんこん













お日様が山に沈むとまわりで遊ぶ人たちも帰ってしまった。

我思う
公園は河岸段丘の上にあるので
日暮れの千丈、甲斐駒を背にした町並みの眺望がきれいだった。
 ここは桜の穴場的名所らしい。
春に訪れるのも楽しそう。







晩ご飯はnoomの今回の旅の第一目標
「伊那のソースカツ丼」が食べられてまんぞくまんぞく。
やったー


翌日もよく晴れていた。昨日より暖かくてほっとする。
猿のいる権兵衛トンネルを抜けて木曽路に出る。
なまこかべあるき











今日も着物で木曽福島宿散策。
どこでもあそびば



ここでもねころぶ













昔ながらの宿場町の風情の中をそぞろ歩くのも、もちろん楽しいが
我が家の基本は路地探検。
かけてくるかけてゆく



ちいさな庭













修景された町よりもリアルな昭和が残っていたりして
路地の方がおもしろかったりする。
今回は階段という階段道を親子で「グリコ」で進んでいく。
じゃんけんぽん
側溝あるき大好き


 カモのいる川を横に見ながら路地を抜け橋のたもとで川に降りる。
なんてことない道が好き













こんな季節でも水遊び。と思いきや、さっそく砂遊び開始。

なにもいうまい













親目線では着物なのに〜と思うが、普段着キモノをめざすなら目をつぶるトコロ。
水は青緑色に澄んで、我が家近くの川とはまた違う、木曽川の色だ。









川岸の黒い岩肌はもろく尖っていて、石同士をこすりあわせると字が書けて楽しい。
今回はずぶぬれにならず上出来、上出来。
ちょっとあつめ 













川岸にある足湯につかってのんびり…したかったが、
今回やたらと動き回るようになったUFOがいるため、なかなかせわしなかった。
tooやリホチはマシュマロを洗っている。なぜ?

そのあと帰り間際に事件発生。
tooが旅の間持ち歩いていたはずの宝物バックが無くなっている!
記憶をたよりに福島関所跡等を探し、
途中で休憩した和菓子屋さんの所でようやく見つかって一安心。
ニコニコ饅頭かわいい

旅はこんなアクシンデントありのほうが実は面白いのかもしれない。

塩尻にてふらっと立ち寄ったブックオフが大当たり。
大量に絵本等を買い込んでしまった(多分この旅の最大出費がコレ…)
旅のラストはtooの念願の回転寿し。
いつもの休日のような小さな小さな旅。






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2011年10月31日月曜日

夕空天体ショウ

29日、地区の用事でちょっと夕暮れにでかけた。

家を出ると東の低い山際近くに、
妙に明るく目立つ★が光っている。
地味めな秋の星座にそんな目立つ星はなかったはず。
木星か土星なのかな、
それにしても遠くの街灯のようになんだか明るいな。
と思いつつ、振り返ると「おおっ」

西にそびえる南アルプスの稜線すぐ近くに
細い細い月が輝いていた。月の影の部分もよく見える。
細い月って夜空にある時間も短いので、なかなか見られない。
そして沈む瞬間もタイミングが合わないと、なかなか見られない。
月の入りをしばらく道の真ん中で見つめていた。

家に帰って調べた所
月齢は2.3、つまり三日月ならぬ二日月だった。
そして丁度29日は木星が「衝」とのこと。あの明るい★は木星だったのだ。

ついでに時折見かけるがうろ覚えだった天文用語「衝」を確認。
「衝」とは地球から見て惑星が太陽と真反対にある状態 のこと
月の場合は「望」と呼ぶ。ちなみに太陽と重なる場合は「合」
・一晩中夜空にある訳で、観察に適する
・一番地球に近い位置にあるので、大きく見える
・月等は衝効果でいっそう明るく見える
なるほど。どうりでやけに目立ったわけだ。

そんな出来事があったあと
NHKの地球ドラマチックで、
「ラスコーの洞窟壁画は、実は古代人の描いた星図だったのでは」
という壮大で魅惑的な内容の番組をやっていた。

先日参加したズーラの象鼻杯イベントでも
「古代、縄文人は月の運行を深く観察していたはず」
という話題があったばかりなので、
 個人的には この仮説はとても納得できるものだった。
 宇宙と生活がより密接に繋がっていた古代。
日々の天空観察から得た知見を
文字を持たない人はイメージの力で後世に伝えたのではなかろうか。
なぜその伝統が、一旦断ち切れてしまったのかも不思議な所。


星の運行つながりの体験つづきに
なんだか一人でうれしくなってしまった晩。

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