2011年8月13日土曜日

白いカエル 2010.5.22

 先日、オタマジャクシが元気にたくさん泳いでいる公園の池のまわりを歩いていた時のこと。。ふと見てみると水中に白い固まりが浮かんでいて、オタマジャ クシがまわりに集まっている。よく見たらそれは親と思われるヒキガエルだった。原型のままで、まわりの皮がすっかりかじられて白っぽくなって水底に漂って いる。弱ったいきものは親でも食べられる、まさに弱肉強食の世界をかいま見たわけだが、一緒にそれを見た我が子たちは特に何も言わなかったけれど、何を感 じただろうか。悲しいとかそういう気持ちを持つことももちろん大事だけど、それを超えた理解も必要だろう。
最近、食事の挨拶時に「あなたの命をいただきます」と言うのが流行っているらしい。それ自体は決して悪い言葉でも行動でもないのだけれど、何 かが引っかかる。「あなたの」と食物を妙に擬人化しているところかなあ。何か足りないような気がする。「言葉の重み」かなあ。ちょっと不遜な気がするのは 気のせいだろうか。(これが流行るきっかけになった、「給食費を払っているんだから頂きますなんて言わなくていい」という話は、トホホです。)
これ、多分教育の場等で流行のように取り入れられていくのだろうけど、トレイに並べられた切り身の魚や、世界中から集められたスーパーの食 材、そしてコンビニの弁当を前にして発するその言葉に、どれほどの実感が含まれ得るかと言えば、本人が過程を知らない限りはなかなか無理だろう。そして 言ったからには,食べず嫌いなんて失礼だし、食べ残しなんて論外。と思うのは極論だろうか。 ちなみに「ご馳走さまでした」は、食べ物が口に届くまでのす べての関わりと手間と苦労をねぎらう言葉。いただきますと二つセットで、実感を持ちながら毎日言いたい美しい日本語だと思う。
白いカエルはまさに身を持って「私の命」をこどもたちに命を分け与えていた。直接的には食べるって生きるってそういうことだ。それをこどもた ちは今感謝してはいないだろう。それは悲しいことでも無い。でも、親である自分は、オタマジャクシのかわりに親ガエルには声をかけてあげたい、「ごちそう さまでした」と。

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