ラベル 地学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 地学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年5月21日月曜日

日食〜我が家のお日待朝食

 本日初金環食。前に皆既日食を見た時とどう違うのか?
こちらは青空でした。

 noomはどこにいったんだろう?と探していた
レントゲンフィルムを今朝5時ごろ奇跡的に見つけ出して
うれしくなっていた。

うちの庭にちゃぶ台出して、朝ごはんしながら待つことにした。
今日はお月見ならぬお日待
 最初はパンを普通に食べていたけど、
そのうちこどもたちがたべものであそびだし…
即興日食メニュー登場 。
日食します!がぶり。
 うきうきほろ酔い気分みたいな感じになってきた。
観測結果の記録法(太陽がぼけてるが)

こんなふうにすれば日食のしくみがおいしくわかる?かも、と考えてみる
 しかし、金環食15分ほど前から、観測していた子供たちの様子に変化が。

なぜかチャンバラを始めて興奮気味の3人。
やはり,飽きて来たか。
U4は最初から太陽等みてはいない。彼はごはんを見ている。
リホチは最初だけ。
あれほど興味津々だったtooももはやほとんど太陽を見てない。

 
彼らのチャンバラも日食の異常行動なのか?

あたりは、明るいのに薄暗いなんともいえない 空気感。少し寒い。
そして金環食。
 指輪のような太陽もいいけど、やっぱりまわりの空気感の変化が日食の醍醐味。
木漏れ日が日食のカタチをつくるのはもちろん
空気がひんやり影がゆらいでゆく
ざわわわわ
あらゆる影もなんだかゆらゆらとしておぼろげで、
この世でないような、水の中にでもいるような不思議な感覚。
写真にあの不思議さがでてない




















たった4分ほどだったけど、
それでも眩しくて直視できない太陽のすごさ。
いつも太陽のそばにいる「見えない月」の存在感。
太陽と月がみかけほぼ同じという奇妙な偶然。
月も太陽も刻々と動いてるリズム。
いつも見慣れてる太陽や月や世界のふしぎをあらためて思い出す 
きっかけになった。
やっぱり自然はすごいね。


付記 皆既は完全に太陽が消えるけど、金環は暗くなるだけ。
目視できない現象を 昔の人は気づいていたのかなあ。
皆既との比較、金環は劇的というよりは繊細な感じがしました。

 








 

●●●●●だから、世界はおもしろい。●●●●● ↓よかったらクリックしてね。 にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ

2011年10月31日月曜日

夕空天体ショウ

29日、地区の用事でちょっと夕暮れにでかけた。

家を出ると東の低い山際近くに、
妙に明るく目立つ★が光っている。
地味めな秋の星座にそんな目立つ星はなかったはず。
木星か土星なのかな、
それにしても遠くの街灯のようになんだか明るいな。
と思いつつ、振り返ると「おおっ」

西にそびえる南アルプスの稜線すぐ近くに
細い細い月が輝いていた。月の影の部分もよく見える。
細い月って夜空にある時間も短いので、なかなか見られない。
そして沈む瞬間もタイミングが合わないと、なかなか見られない。
月の入りをしばらく道の真ん中で見つめていた。

家に帰って調べた所
月齢は2.3、つまり三日月ならぬ二日月だった。
そして丁度29日は木星が「衝」とのこと。あの明るい★は木星だったのだ。

ついでに時折見かけるがうろ覚えだった天文用語「衝」を確認。
「衝」とは地球から見て惑星が太陽と真反対にある状態 のこと
月の場合は「望」と呼ぶ。ちなみに太陽と重なる場合は「合」
・一晩中夜空にある訳で、観察に適する
・一番地球に近い位置にあるので、大きく見える
・月等は衝効果でいっそう明るく見える
なるほど。どうりでやけに目立ったわけだ。

そんな出来事があったあと
NHKの地球ドラマチックで、
「ラスコーの洞窟壁画は、実は古代人の描いた星図だったのでは」
という壮大で魅惑的な内容の番組をやっていた。

先日参加したズーラの象鼻杯イベントでも
「古代、縄文人は月の運行を深く観察していたはず」
という話題があったばかりなので、
 個人的には この仮説はとても納得できるものだった。
 宇宙と生活がより密接に繋がっていた古代。
日々の天空観察から得た知見を
文字を持たない人はイメージの力で後世に伝えたのではなかろうか。
なぜその伝統が、一旦断ち切れてしまったのかも不思議な所。


星の運行つながりの体験つづきに
なんだか一人でうれしくなってしまった晩。

あなたとの一期一会に感謝。 ↓よかったらクリックしてね。
にほんブログ村 アウトドアブログ 自然観察へ
にほんブログ村

2011年9月16日金曜日

釜無キャニオン探検 2011.9.14

今日も夏が戻ったかのような暑さ。
丁度良いので前から気になっていたミニグランドキャニオンにでかけてみた。
「昭和57年の大雨によって釜無川国界橋下流に突然出現した1.5kmにわたる断崖に囲まれた渓谷で、出現当時は多くの見物客を集めた。だがしばらくして見学者に事故があったため、立ち入り禁止になり岸を重機で崩したりした」等と資料にあるが、現在はどうなっているのだろうか?
できたてキャニオンの資料

甲州街道沿いに細長く伸びている上教来石地区の山口という場所に関所跡地の石碑が建っている。そこに車を置いて川の方に向かう。
川岸までたどり着く道は無いので途中から完全に道なき道を突き抜けていき堰堤の上にやっとたどり着いた。堰堤のために土砂が堆積して広い河原になっている。先日の増水もすっかり収まって河原に残るのは痕跡だけだった。



ここから上流に向かって歩いてゆくが、基本的に水深は膝下ぐらいがつづき、河原の大部分は砂や小さい石ころばかりで大きな石は部分的なポイント以外ほとんど見られない。ここからの川の両岸はほとんど垂直に切り立った5~10m程度の垂直な壁が続いていて、V字谷ならぬ凹字谷。人家の近くのはずなのに、あたりはまったく人の気配がない。空は青空、つくつくぼうしが頑張って鳴いていた。




さて、浅瀬を伝ってざぶざぶと進んでいく。時折ヤンマが高速で飛び去ってゆく。岸の近くの小さなよどみには小魚が泳いでいる。
川を渡り返しながら2曲がりぐらい進んだところで崖の地層の中に珪化木があることに気がついた。

ちょっとここの崩落は小規模だけど新しいので少し緊張する。このあたりから川筋は2つに別れるが、少し水深が深まり流れが速くなったので緊張しながら中州に渡る。





この中州の終点は、
大きな護岸ブロックがごろごろと
転がっていて荒れた光景が広がっていた。
ここは谷が狭くなっているので
流れもかなり勢いがあり、
水音も大きい。


ここまでの崖は黄色っぽい堆積岩で、
ここから上流側は緑色に急に変わっている。
どうやらこの境目が糸魚川静岡構造線の露頭のようだ。





ここから先も谷は続いていたが、
ブロックの先は少し深い部分が多くなりそうだったのでムリしないでここで引き返すことにした。

帰りはライフジャケットの浮力を使って「ぷかぷかキック」を何回か試して見たが、見た目より結構流速があるのと、ほとんど浅瀬ばかりで緩急が無くスリルを感じた。リュックを背負っていなければもっと楽しめたかもしれない。

当時を紹介する写真と現在の様子と比較すると、歳月をへて崖の上には細々ながら緑が茂り、大量にもたらされる土砂で谷は埋まり削られ続けて、川は常に姿を変え続けているのが分かる。
短い距離だったけど、(多分)今年最後の全身川遊び。楽しかった。

2011年9月11日日曜日

カワノチカラ

9/9 台風12号は、ここ山梨でも随分な雨をもたらしていた。降った雨はその後、川に注ぎ込んで増水させる。通勤時にいつも通る橋から見たところ、ピーク時で100センチは水位があがったようだった。
その後、ようやく水量が落ち着いて来たので、夏もたびたび遊んだ河原に向かった。
すると、いつもはススキにびっしり覆われた川への道がおかしい。
道が白くて広い。なんと道が川筋になっていたのだった。
しかもススキを川下方向に倒すだけでなく、まわりのニセアカシアも何本も倒れていた。
白いのは大量の砂が運ばれ、残されたから。
いつも車の天井にぶつかるニセアカシアの枝が、腰を屈めてくぐり抜けるくらい随分低い位置にある。
ということはその分土砂が積もったのか、木が傾いたのか?さらにすすむといつもの道は倒木で完全に塞がれたので脇から川岸にでると、
景色が一変している!まだ水は白く濁り、いつも車を止めていたスペースは、無くなっていた。
かろうじてそのすぐ近くにあった中州の柳の位置から、本流が大きく手前に移動したことが読み取れる。
ここはすぐ上流に堰堤があるため、普段は水の流れも穏やかなのにこの状態。
いやむしろ普段穏やかなために、たまっていた砂が岸を広く構成していたということか。
砂の上ならニセアカシアも簡単に倒れる訳だ。
こどもたちも広くなった川の流れに、水の脅威を感じることができただろうか。
なんとなくでもすごいなーということが伝わればいいけど。
いつもと違って10日現在でもまだ川の濁りはとれない。
でも水が減れば、またちがった表情を見せてくれるのだろう。
楽しく、コワい、すごい川の力を知りつつ来年も遊びに行きたい。