漂着するものたち
別の日、祖父の家から目と鼻の先、粟島神社に散歩に行った。急な石段を登り切ったところにある神社、
その裏手からは遠く出雲大社の方角が望めるようになっている。
ここ粟島神社に祀られているのはスクナビコナノミコト。
言い伝えによればスクナビコナが天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)
=ガガイモの船に乗って漂着したのがこの地ということらしい。
古事記によればそれからスクナビコナはオオヌニヌシの国造りに協力したあと、
「粟島」に行き、粟の茎によじのぼって、茎の弾力でポーンと跳ねて
常世の国に去って行ったと聞く。そんな由来のある地。
境内の裏手からそこからもはや散歩道とは言えないような細道を麓に降りると、
八百比久尼の住んでいたといわれる「静の岩屋」にたどり着いた。
漂着した人魚の肉をうっかり口にしたために永遠の命を得てしまったために
世をはかなんだという八百比久尼伝説は各地にあるが、
ここはちょっと人気も無くて、なんだかドキドキするようなスポットだ。
クグってヒキガエルの古い呼び名つながり? |
そのときは何かの種?としか思わなかったけど、
あれは湿ったガガイモの種だったのではないかと今では思えて仕方ない。
(普通のガガイモより種が細長い)
スクナビコナ発見 |
神も人魚も種も、様々なものが漂着した粟島。
だが実際に来てみるとここ粟島は中海側にあり、少し不思議だ。
(粟島は江戸時代の干拓で陸地続きになった)
しかしここ中海の静かな水面なら、小さな小さな船でも種でも、
波に飲まれずに岸までたどり着けそうでもある。
スクナビコナは農耕の神でもあるが、もともとは漂着した種そのものだったのかもしれない。
麓の大岩神社(スクナビコナ上陸地点) |
想像はさらに膨らむ。
出雲風土記に国引神話というのがある。
米子から境港、松江から大根島、出雲界隈、あたりの地形は基本平坦地で、
大昔には全体が浅い海峡のようになっていたように思える。
それが長い年月を経て粟島のような小さな島々に砂嘴が発達して陸繋島になって、現在のような地形になっていった、
もしくは干拓化して居住地や耕作地に変えていった。
スクナビコナや国引神話はそんなこの周辺の地形の形成史を物語化したものではないだろうか。
ついでに古事記の伝える兎のサメ渡りも壱岐と因幡をつないだ話とされるが、
外洋ではなくこの浅い中海が舞台だったなら、
本物のワニを並べて飛び石伝いに「海」をわたっていくのもとても簡単そうだ。
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