2013年3月27日水曜日

ヌバタマノ夜ノクニ 4

ヤミノイリグチ

鳥取からの帰り道、蒜山を越えると空が変わった。
山陰と山陽を肌で感じた瞬間。
蒜山にて。大山と思ったら前衛の山だった
祖父の家、鳥取の米子あたりは伯耆の國。
(出雲と違うんだということを今回初めて認識。すいません鳥取)
ホウキの語源には諸説あるが、ここでは掃除道具のホウキに関連していると思いたい。
箒とは古来呪術的には魂を「掃き集める」ことや邪を「払う」アイテム。
ならば一年に一度、神集う出雲の入口にふさわしい地名だと言えないか。
ヤマトタケルや鳥取県とつながる白鳥
さらに伯耆の國の現在の呼び名は鳥取というが、その語源は
『古事記』や『日本書紀』にある誉津別王子(ほむつわけのみこ)のために
白鳥の捕獲を命じられた天湯河板挙(あまのゆかわたな)が、
ついに出雲の地で捕獲に成功した功績から「鳥取造」の称号を拝命したことによるそうな。
鳥は神に使える使者だし、白鳥はヤマトタケルの伝説にも出てくる。
知名度が低い割りに(失礼)意外に古代ゆかりの名称なのである。

鳥は神に近い存在

鳥取部の末裔…

異国の鳥の神も出雲にいた。
鳥取部に挑戦



鳥取部に挑戦

鳥取部に挑戦



松江フォーゲルパークにて


そしてイズモ大社は西の果て、夜の入口、日の沈む所にあった。
冬は日本海からどよどよ雲がわき出してくる。だから出雲。
ちなみに近くには今回行けなかったヨミノクニの入口、ヨモツヒラサカもある。
また、粟島のある、祖父の家辺りは弓ケ浜というが、
もともとは夜見ケ浜、ヨミガハマだったという。


日の出ずる国、古代ヤマト朝廷から見れば、
この地域全体が畏怖すべき影の国、闇の国だったのが
今回の旅でなんとなく分かった気がした。




●●●●●だから、世界はおもしろい。●●●●●

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2 件のコメント:

  1. 母の実家は弓ヶ浜の「夜見町」です。
    「黄泉のクニ」からきた地名だろうか・・・
    昔は今のような産業道路などなかったので、うっそうとした
    松林が延々と続いていた。松林の下には松露が生えていて
    熊手で掻くと丸っこい松露がいくつも採れたものです。

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    1. 夜見町もあるんですね。これもまた地名として土地の記憶を留めているのですね。
      人も住まず松林も無かったような古い時代の夜、対岸(美保方面)に伸びてゆく海上の暗い砂の細道を想像してしまいます。

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