鳥取からの帰り道、蒜山を越えると空が変わった。
山陰と山陽を肌で感じた瞬間。
蒜山にて。大山と思ったら前衛の山だった |
(出雲と違うんだということを今回初めて認識。すいません鳥取)
ホウキの語源には諸説あるが、ここでは掃除道具のホウキに関連していると思いたい。
箒とは古来呪術的には魂を「掃き集める」ことや邪を「払う」アイテム。
ならば一年に一度、神集う出雲の入口にふさわしい地名だと言えないか。
ヤマトタケルや鳥取県とつながる白鳥 |
『古事記』や『日本書紀』にある誉津別王子(ほむつわけのみこ)のために
白鳥の捕獲を命じられた天湯河板挙(あまのゆかわたな)が、
ついに出雲の地で捕獲に成功した功績から「鳥取造」の称号を拝命したことによるそうな。
鳥は神に使える使者だし、白鳥はヤマトタケルの伝説にも出てくる。
知名度が低い割りに(失礼)意外に古代ゆかりの名称なのである。
鳥は神に近い存在 |
鳥取部の末裔… |
異国の鳥の神も出雲にいた。 |
鳥取部に挑戦 |
鳥取部に挑戦 |
鳥取部に挑戦 |
松江フォーゲルパークにて |
そしてイズモ大社は西の果て、夜の入口、日の沈む所にあった。
冬は日本海からどよどよ雲がわき出してくる。だから出雲。
ちなみに近くには今回行けなかったヨミノクニの入口、ヨモツヒラサカもある。
また、粟島のある、祖父の家辺りは弓ケ浜というが、
もともとは夜見ケ浜、ヨミガハマだったという。
日の出ずる国、古代ヤマト朝廷から見れば、
この地域全体が畏怖すべき影の国、闇の国だったのが
今回の旅でなんとなく分かった気がした。
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母の実家は弓ヶ浜の「夜見町」です。
返信削除「黄泉のクニ」からきた地名だろうか・・・
昔は今のような産業道路などなかったので、うっそうとした
松林が延々と続いていた。松林の下には松露が生えていて
熊手で掻くと丸っこい松露がいくつも採れたものです。
夜見町もあるんですね。これもまた地名として土地の記憶を留めているのですね。
削除人も住まず松林も無かったような古い時代の夜、対岸(美保方面)に伸びてゆく海上の暗い砂の細道を想像してしまいます。